Chapter 10


クリスマス〜正月

そしてBajada de Reyes


<夏の正月>

 <夏のクリスマス〜その後>

12月24日、かわいそうな岡田を招いてくださった家は、Sra 坂口の

親戚の家で、敷地が1000平方メートル(内家屋500平方メートル

庭500平方メートル)の豪邸で、集まった子、孫が総勢17〜18人

というにぎやかさでした。

今年はそれでも2家族が来なかったのでずいぶん少ないとのこと。

いっぱいのごちそうも私には多すぎてほとんど手がつけられませんでし

たが七面鳥と熱いチョコレートだけは後学のためにといただきました。

とてもよかったのは、物知りの年配の方がいて興味深いペルーの話がた

くさん聞けたことです。

広い庭のテラスで椅子にゆったりかけ、ウィスキーを飲みながら話をし

ているうち12時になり、子供たちは一斉に庭に出て盛大に花火を鳴ら

します。

周囲の家でもおなじことをするのでそのうるさいこと、そして夜空に花

火の煙が風に乗って流れて行きます。

ひとしきりの喧騒のあとは子供を連れてそれぞれの家族が帰り、一転し

て落ち着いた大人の世界です。

リマの海からの心地よい風とウィスキーでの会話で気がつくと2時をま

わっていました。

イタリアから Paneton が入ってきたのはそんなに古いことではなくてそれまではやはりスペインの同じような食べ物だったそうです。

ただ形が全然違っていて、その方によると「牛のフンのように平たい形」だったとのことです。

ペルーにはいろんな国からビジネスが入ってきて、宗主国スペインの面影は古い建物とか公園といった施設関係だけになっていくようです。

たとえば七面鳥はアメリカからだし、12時になると一斉にあちこちで鳴り出す花火は中国からです。

熱いチョコレートの出所はその方にも確たることはわからないということでした。

あとから話に加わったこの家の主のシニョーラとシニョーラ坂口も「さあ、どこでしょうね。ま、北半球にはまちがいないですねえ。」といった調子です。

その後話はフジモリ大統領に移り、それ以前の大統領のことも含めて興味のある話題でした。

前に「通信」した「私のフジモリ論」はそれらの話を加味しても訂正することはなさそうです。

とても印象的なクリスマスになりました。

 

さて、翌日です。

大きな行事・習慣のアトも私には興味のあるところです。

日本にいたとき、日本語の中・上級のトピック、教材として“世界の休日”のリストを使っていました。

それによるとキリスト教圏の各国では12月26日は“Boxing day”といって休日になっている国や州が多いです。

あさましい酒飲みの私としては「ハハーン、やっぱりどこでもクリスマスには思いっきりお酒を飲んで二日酔いになるのであらかじめ休日になってるんだな〜」と考えていました。

それを話したら、ある方にたしなめられました。

「岡田さん、それは岡田さんの発想です。“Boxing day”というのはそうじゃなくて、日本でもあるでしょう、正月にデパートやスーパーで売り出す中身の見えない袋入りのあれですよ。中身はわからないけどかならず値段より相当高いものが入っている福袋。

それと似た習慣が外国にもあって“Box”はたしかその箱のことです。」と。

ペルーでは“Boxing day”はなくて26日の街は平日と変わりませんでした。

ただ日本と違い、スーパーの売り場では引き続いてクリスマスの赤系統のデコレーションが残り、パネトーンの値段も前日までと変わらずいっぱいに積み上げられています。

もちろんシニョリータたちのサンタの帽子はなくなり、サンタクロースも姿を消しますが、一夜にしてデコレーションが変わり、クリスマスケーキの値段が大幅ダウンといったことはありません。

パネトーンは日保ちがすることからその後もずっと積まれていて徐々に売れて行き、1月10日頃に一気に半値ぐらいになって売りきれることになります。

赤系統のデコレーションもすこしずつ平常に戻って行きます。


 <夏の正月>

大晦日“poco a poco”の香苗さん(経営者早内さんの奥さんで、アンデスの草木染めの染色家。料理の腕も当地の日系社会では有名)の「よかったらペルーの正月をしにきませんか。」との誘いに甘えて行ってきました。

クリスマスと正月の過ごし方は日本とペルーでは基本的に逆といっていいようです。

クリスマスは外でも家でも祭り気分、大晦日から元旦にかけては家族で静かに迎えるという日本に対しペルーではクリスマスは家族で家で過ごす(イブの夜から教会へ行きミサで25日の零時を迎えてから家に帰るというのが本来だそうですが)。

反対に正月は外に出かけ、あるいは家では他の家族も集まってにぎやかに過ごすというのがペルーです。

 【ペルーの正月】

* 大晦日の夜、家族とか友達とかの単位で外にでかけ、レストランやこの日だけオープンする大規模な食事つき宿泊施設(高級なバンガローなど)で、明け方の朝まで踊り明かす〜。こちらでは踊りは生バンドなのでこの日は各レストラン、施設ともバンドを雇います。

この日”poco a poco”へ行く途中で覗いてみても、レストランはどこもすべてテーブルにナイフ・フォーク・ナプキンが用意されて、すでに満席になりそうなことが通りからも見えます。

最近の傾向として、若者たちは海でキャンプして過ごすグループが増えているとか・・・。

レストランより安上がりでかつ思いきり騒げるところからこの傾向は年々高まってきたようです。

* 一方、外に出かけない場合は大晦日の夜から家族や親しい人たちで集まり、お酒を飲んだり食事をしながら元旦を迎え、12時になると

@ ぶどうを12個食べる〜〜これはキリストの”血”を意味するとのこと、赤ワインの原料でもあるかららしい。なぜか机の下にもぐって食べるのがほんとうだとか。その理由を何人かの人に訊ねるのですが誰も「さあ、私もそう聞きましたがどうしてでしょうね。」 としか言いません。

A かばんを持って家の周りを一周する〜〜今年たくさん旅行ができるようにとの願い事だとか。

B 小銭(5セントか10セント)を12個人からもらい、頭越しに後ろへ投げる〜〜願い事がかなうように。

C 黄色い下着を着ける〜〜”黄色”はここでは”幸福”の象徴だそうです。そういえばこの日、街の路上に黄色いパンティーをいっぱい広げて売っている行商のおばさんがいてびっくりしました。また男性用には黄色の帽子(明治か大正のころまで日本でも男性が夏かぶっていたような)をやはり街頭で売っています。

D 家の外では12時に一斉に花火をあげ、その音はすさまじいくらいです〜〜これは中国からきた習慣

Eハリボテの人形を燃やす〜〜1年の厄払いの意味。

もちろん、これを全部する家はないみたいで、特に日系の家庭では話として知っている程度という家が多いです。

香苗さんのところでもそうです。

9時過ぎに行き、“poco a poco” の若い女性従業員夫婦2組と早内氏夫妻、息子さん、それに親しい人たち3〜4人の合計11〜12人で元旦を迎え、それでも12時になるとお手伝いさんのペルー人女性がブドウを12個皿に入れてそれぞれに配りみんなで”キリストの血”をアリガタクいただきました。

香苗さんの料理の腕は本物で、完璧な”おせち料理”がペルーで食べられるという幸運に恵まれました。

なんとカマボコは手作りだとか!。

塩はクスコでとれる岩塩を使っていて、これが大変いいそうです。

料理をほめられると「半分はクスコの塩のおかげかもしれないね。」と彼女は言います。

3400メートルの山が海だったころにできた塩・・・。

なんとなく神秘的な感じがしてしまいます。

ペルーでは岩塩がとれるのはクスコだけだそうです。

とにかくよく飲みよく食べ〜。

Apartamentoに帰ったのが朝の8時、寝たのが9時、起きたのが夕方4時〜。

という典型的なペルーの正月をしてしまいました。

実は正月と直接関係はないのですが、この日もうひとつ面白い体験をしました。

この日“poco a poco”に集まった人の中に松島さんという方がいました。

年齢は60才ぐらい、山が好きで50才でNTTを早期退職し世界の山を歩いている方です。

もともと最後のターゲットはペルーだったそうですが、ヨーロッパの山を数年、メキシコに数年、そしてここ1〜2年をペルーの山に入っているとのことです。

なかなか面白い方で、“poco a poco”をいっしょにおいとましたのが朝の5時ごろでした。

そのあと、「ぜひ私の滞在しているところへ寄って行ってください。」と言われ行きました。

そこは2階建ての広い家で、その屋上にさらにベッドルーム1部屋だけの“家”が4戸ほど建っています。

松島さんはその屋上の“家”にステイしていました。

“家”の広さはベッド二つと机、本棚を置くといっぱい〜といったところですが、ひとりで暮らすなら不自由はなさそうです。

トイレ、シャワーは共同で各階にひとつづつあり、食事は頼めば朝食を2ソーレス(だったと思いますが)で使用人のおばさんが作ってくれ、結構充実していますよ〜と松島さんは言います。

家賃は1日5ドル、したがって1ヶ月滞在しても150ドルです。

冷蔵庫・キッチン・洗濯機も1階に共同のものがあり自由に使う〜、最大のメリットは電話代やインターネットの使用料も家賃の中に含まれるので(もちろん電気・水道料も)月150ドル以外一切不要ということです。

こんな面白い滞在場所ができたのには背景があって、この家の家主は地方のちょっとしたお金持ちのようです。

7人の子沢山で、彼らがリマの学校に通うために建てた家ですが、その屋上を利用して、短期滞在する旅行者のための宿泊施設を作った〜というわけです。

安いので利用者はいるにはいるのですがそんなに多くなく、なにしろそんなにP・Rしているようにもみえず、松島さんによると「自由に暮らしていますよ。」とのことです。

この日も松島さんの“家”で山の話などをひとしきりしたあと1階の電話・パソコンのある部屋へいきEメールをしていると、7人の若者たち(のうちの数人)が“ペルーの正月”を終え、どやどやと帰ってきて松島さんと“Feliz ano!”(新年おめでとう!)と肩を叩き合っていました。

治安の問題は?と訊ねると「若者中心でめぼしいものがない〜と判断して強盗、どろぼうも狙わないのでは…。」と。

松島さんは大変気に入っていて「岡田さんもここに移ったらどうですか。」と勧められました。

電話料込み月150ドル!

ボランティアの私にとっては十分に魅力的です。 

いよいよお金に困ったら移ろうかな〜と。


 <Bajada de Reyes> (バハダ・デ・レイジェス)

1月1日はもちろん休日です。

大晦日からの飲み・食べ・踊り〜でこの日街は気のせいかふだんの日曜日より静かなようです。

大晦日の習慣のひとつ“人形を焼く”ついでに古タイヤも燃やして気勢をあげ、このときそばを通ると何をされるかわからないのでさけるように〜との注意もありましたが、Apartamentoのあたりではそんなこともなく平静です。

二つの大手スーパーのうちウォンは休みですが、もうひとつのサンタ・イサベルは平常通りに営業しています。

2日以降はすべてが平常にもどりますが、クリスマス以前から飾り付けられた建物の前の大きなツリーはどこも1月6日までそのまま飾られています。

1月6日は Bajada de Reyes(バハダ・デ・レイジェス)です。

この日、下町では地区(隣近所でしょう)毎に立てられたツリーに吊り下がっている飾りものを1人ずつ下から順に下ろしていき、ひとつだけあるキリストの飾りにあたった人が次の年にBajada de Reyesの当番になるのだそうです。

飾り物がすべて下ろされ木をかたずけたあと、その年の当番の人がみんなに食べ物や飲み物を提供してBajada de Reyesの儀式の終了ということになるのだそうです。

ちなみにBajadaは“下ろす”という動詞の変化形、Reyesはキリストの生誕に貢物を送った聖人たちなのだそうです。

12月25日にキリストが生誕したことを聞いた3聖人が星に導かれてキリストのところに辿りついたのが1月6日。

そのとき聖人たちがキリストに捧げた貢物を下げる〜というのがその意味だとか。

またこの日パン屋には“Rosca de Reyes”というドーナツ型の大きなパンが売り出されます。

試しに〜とSra坂口がくださった“Rosca de Reyes”を食べていると、何か固いものが歯に当たります。

びっくりして取り出してみると紙にくるんだおもちゃの“金の鈴”が出てきました。

以後は注意しながら食べ続けることになりますが、次にでてきたものはやはりおもちゃの“ビーズ”です。

最後に“サイコロ”が出てきて私は結局3つの贈り物を受け取ったことになります。

“Rosca”は“ドーナツパン”の意味ですがその中に聖人の贈り物が入っている〜との意味ということです。

このパンは同じものでも値段がまちまちで、その理由は中に入っているものが違い、高いものや安いものなど、値段に応じてそれ相当のものが出てくるというわけです。

これが、言ってみれば“福袋”というわけでしょうか。

日系人のパン屋さんの話です。

「この時期は神経を使うんですよ。」と。

聞いてみると“Rosca de Reyes”を利用し、高価な贈り物をする人がいて、中に入れるものを持ってきて「これを入れて焼いてくれ。」と頼まれるそうです。

たいていはお世話になった人にお礼として贈るためのようですが、以前は“袖の下”として(例えば金・金製品などを入れて)賄賂の手段にも使われたとか〜。

いかにもこの国らしいと笑ってしまいます。

このパン屋さんいわく「もう、来年は受け付けるのをやめようかと思っているんです。

もし焼くとき依頼されたものを間違って入れたらたいへんなことになりますから〜。」

私の受け取った“金の鈴”もおもちゃでなく「間違えて」本物だったらよかったのに・・・。






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