Chapter 6
ナスカへ≪
Part.
3≫
〜地上絵飛行〜
ホテルMaison Suisse のコテージは広くもないし、立派ではありませんが、静かで清潔です。
前日の早朝、リマを発ってナスカへ、そして辞書を片手のひとりツアーデビューもどうやら無事終了、一日目の疲れはベッドが吸収してくれたようです。
目を覚ますと澄んだ空気の中からハチドリらしい小鳥の鳴き声が聞こえます。
7時半のフライトに遅れてはいけないと、早めに起きたのが少し早すぎたようです。
その分ゆっくりシャワーをしようとバスへ。
蛇口を回して湯が出るのを確認してから服を脱ぎます。
このクラスのホテルでは湯が出ることを一応確認しておいたほうが無難だからです。
気持ちよくシャワーを浴び始めてそんなに時間は経っていませんでした。
湯がだんだん冷えてきます。
あわてて湯を止め、時間をおいてまた出しますが冷たくなる一方です。
これはもうあきらめるしかありません。
すぐに体を拭いてシャツを着ますがもう遅いです。
寒くて身震いが止まりません。
はじめから湯が出ないとか、冷たいのはまだいいです。
最初からシャワーをあきらめますから。
でも、このケースのように浴び始めてまもなく湯が出なくなるのがいちばん困ります。
まだ体も温まっていないし、あわてて拭いてシャツを着ても体温は下がる一方です。
まだ旅行は始まったばかり、きょうはこれからメインの地上絵フライトもあるし・・・。
いま風邪でもひいてしまったら…。
「朝のシャワーは気をつけなければいけませんよ」とSra.坂口に注意されました。
「夜は大丈夫だったんですが」
「いいえ、夜シャワーを使うのは日本人ぐらいじゃないですか?
だから夜は大丈夫です。
朝はみんな一斉に使いますから途中で湯がなくなるんです」とSra.。
「ウーン、そうだったんですか」
と、これは後になっての話です。
バックパックに詰めてきたありとあらゆる衣類を全部着こみ、ベッドにもぐりこみます。
10分、20分〜と思いきりからだを丸めていても震えが止まりません。
(まいったな! この先悲惨な旅行になるのかなあ)
30分、少し震えがおさまりかけます。
そろそろフライトの準備をしないと〜と思っているところへフロントから“集合”の知らせが来ます。
もう寝ているわけにはいきません。
覚悟を決めて着られるものを全部着てロビーへ行きます。
あとで考えてもよく風邪をひかなかったものだと思います。
この時期、こちらでは秋のはじめにあたります。
そしてもともと冬の最低気温の平均が14度ですから日本のような「寒さ」はありません。
もし、これが日本の秋だったら確実に風邪をひいていたでしょう。
フロントでフライトの説明を聞いているうち、震えも止まりました。
Maison Suisse の前の道路をはさんで向かい側にナスカの空港があります。
ロビーに集まった7時半のフライトの客はその道を横切って空港に入ります。
「空港」は実に簡素です。
空港というより超小型機5〜6機の「駐機場」です。
道路沿いの簡単な柵の外から全空港が一瞥できます。
出入口の簡単な鉄格子の扉を入って直接小型機の止まっているところへ歩いていき、すぐに乗りこみます。
もちろん何のチェックもありませんし、だいいち空港の「職員」らしき人影もありません。
このフライトの乗客は全部で5人。
私以外はロシア人の一家で、老夫婦とその息子または娘夫婦らしい4人家族です。
機内は両側の窓に沿って2つと3つの席があり私は左側の席にかけます。
つまり定員5人の小型機です。
パイロットが自ら乗客を席に着かせ、ドアを閉めてチェックをしたあと全員にヘッドフォンをつけるよう指示します。
飛行中にパイロットの地上絵の説明を聞くためのヘッドフォンなのだそうです。
なるほどパイロットがエンジンをかけるとその音で通常の会話はほとんど聞こえなくなります。
ロシア人家族の父親がそのヘッドフォンを通してパイロットにいろいろな質問をし、そのやりとりが私にも聞こえてきます。
カステジャーノなので意味はほとんどわかりませんが、どうやら地上絵のことよりも飛行機の事が話題になっているようです。
たしかにこんな小型機に乗る機会はめったにないし、正直言って地上絵飛行よりも「飛行機自体が大丈夫だろうか?」と気がかりの方が先に立ちます。
パイロットはしかしそれらの質問に丁寧に説明しているようで、少し安心できそうです。
ところがエンジンがかかってからいくらたっても飛ぶ気配がみられません。
パイロットは別に何かをチェックする様子もなくただエンジンをふかしているだけです。
こんな小型機でも飛行可能状態になるまではそれなりに時間がかかるのでしょう。
気のせいか15分ほどもそんな状態が続いたかと思うころようやくパイロットの動作がきびきびし始め、機は両翼をがたがたと震わせながら滑走路へと出て行きます。
そこから先はさすがに超小型機と超小型飛行場です。
国際空港のように曲がりくねったコースをゆるゆると移動して滑走路に出て、そこからまた相当の距離を滑走してやっと飛び立つというまだるっこさはありません。
滑走路に出るとすぐに助走を始め、思いっきりスピードを上げたところで車輪が地上を離れます。
ジャンボ機でもその瞬間は「ああ、浮いたな」と、そして「違う空間に入ったな」と感じますが、超小型機ではまさしく「鳥になった」気分です。
空港の小さな建物や柵や、周りの道路や木、そんなものが見る見る小さくなって、これから始まる地上絵の世界へと想いが先に立ちます。
搭乗前に地図を渡されていました。
上空から確認する13の地上絵の位置とその順序が書いてあります。
クジラから始まってカツオドリまでのその地図を見ながらわくわくして小さくなる風景に見入っていました。
空港やセントロなど人の住む地域を除くと、黒っぽい索漠とした起伏が視野の大半を占めるようになってきます。
千数百年から二千年以上前ここに人が住み、なおかつ巨大な線や絵を描いたということがあらためて不思議に思えてきます。
しばらくは何の変哲もない起伏を飛行します。
そしてパイロットがなにやら注意を呼びかけながら機体を急に傾け始めます。
最初は右側に大きく傾けながら一層大きな声で説明しています。
黒い地上に白っぽい線が、反対側の窓の私にもたしかに見えます。
いったん通り越したあと、もう一度戻って今度は左側に傾斜させてその絵に接近します。
再びパイロットの大きな声に促されて前方を見ると、ありました!
「クジラ」がはっきりと確認できます。
きのうミラドールから見たのと違って今日は素直に感動できます。
(フーン、これが「ナスカの地上絵」なんだ!)
こんなとき人が表す表情はみんな同じなのでしょうか、ロシア人の乗客たちも何やら口々に感嘆のつぶやきを口にしながら一様に興奮とも微笑みともつかない表情です。
パイロットが後ろを振り向きながら客に向かって親指を立て、“Si?”(OK?)「確認できたか?」と聞いてきます。
もちろん全員が“Si!”(OK!)
と応えると彼も“OK”と言って次の絵に向かいます。
30代前半と見える若くて精悍なそのパイロットの、飛行用のゴーグルの奥の目はきっと意外にやさしいのではないかと私は想像してしまいました。
その仕草がはっきり言って「カッコイイ」です。
「クジラ」に始まって「台形」「宇宙人」そしてきのう地上から見た「樹」と「手」さらには「犬」「猿」「コンドル」「蜘蛛」「ハチドリ」「カツオドリ」と次々と現れてきます。
その都度、左右両側から接近しては丁寧に見せ、“Si?”を連発してくれます。
これまで地上絵飛行を経験した人たちの話を直接・間接に聞きました。
「よく見えました」というケースよりもどちらかというと「あまりよく見えなかった」という感想が多かったと記憶しています。
今回の飛行ではどの絵も実にハッキリと、絵によっては反対側の窓からさえ確認できました。
ただひとつ「トライアングル」だけが確認できませんでした。
たぶん、カステジャーノがわかればパイロットの指示する方角に見えたのでしょう。
(きっとこのパイロットは優秀なんだろう)と心の中で“Muchas Gracias”とつぶやいていました。
パイロットのほかもうひとつの条件は何といっても「超小型機」の有利さでしょう。
こんなに地上に接近できるのは5人乗りぐらいでないと無理かもしれません。
ひとつひとつの絵に(フーン!)と納得しながらコースを辿ってナスカ空港に戻ります。
そして空港の直前の上空からは、きのう訪ねたアクアドゥクトスの取水口が点々と18個開いているのが確認できました。
飛行時間約40分。
クスコ・マチュピチュ・プーノ(チチカカ湖)をひとつのセットと考えると、ペルー観光の2大ポイントのもうひとつはナスカになるでしょう。
ペルーへの長年の夢のひとつをかなえた充実感が、大げさでなく沸いてきます。
同じように納得の表情のロシア人家族とともにナスカ空港に降り立ちました。
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