Chapter 9


知られざるリマのチェックポイント

 もうひとつの

「地球の歩き方〜リマ編」(2)




§§ Brisas del Titicaca (チチカカの風)
           〜フォルクローレ・レストラン §§
 「夜になるとフォルクローレを聞かせてくれる店がある。ペーニャと呼ばれ、飲みながら聞くところ、食事もできるところといろいろ。〜」
 「地球の歩き方」のリマ案内の一節です。
そこで紹介しているペーニャはただ1軒、“Sachun”という店です。
 広い店の奥にステージがあり、そこを中心に大小のテーブルがステージを取り囲むように置かれています。
 グループ用の大きなテーブルから2〜3人用の小テーブルまで〜。
席が埋まれば200人は入ると思われます。
 テーブルチャージが30ソーレス(約1000円)、食事は自由にオーダーします。
こうした大規模なペーニャとしては、リマではもっとも知名度の高いところです。
 そのせいか、外国からの観光客が中心で、私が行った日には、南米からコロンビア・エクアドル・チリ、北米がアメリカ、ヨーロッパからベルギー・スエーデン・イギリス・スペイン・ロシア、アジアから韓国、そしてわれわれ日本〜と多彩なグループでいっぱいでした。
 ペルー国内からも地方からの客、それにリマのリカルド・パルマ大学の教授と学生のグループといった顔ぶれもいます。
 そういった各国、国内各地、各団体のさまざまな客の扱いにはさすがにそつがなく、まず外国からの客のテーブルには、それぞれの国の小さな国旗を真ん中に立ててくれます。
 そしてショーのはじめに国ごとに、客を他の客全員に紹介します。
それだけでなく、その都度その国の代表的な曲をバンドが演奏し、喜ばせます。
 たとえばアメリカの場合は“聖者の行進”韓国の場合は“アリラン”といった具合です。
ちなみに、わが日本は“上を向いて歩こう”でした。
 ステージでは、ペルー各地に伝わるフォルクローレ、踊り、曲芸などのショーが次々に繰り広げられます。
 プレ・インカの時代からインカ、そしてスペイン文化との混交を経てさまざまな独特の地方の伝統芸能が継承されています。
 アンデス地域ではクスコ、プーノ、アヤクーチョ、ワンカーヨなど、海岸地域(コスタ)では北部のトルヒーヨ、中部のリマ、それに海岸ではないですがアレキーパなどなど。
 国内からの客には、どこから来たか、とか大学のグループに対しては、どんな目的の集まりなのか、などと質問してみんなに知らせます。
 私には司会者のカステジャーノはわかりませんでしたが、大学グループの教授には、学生に続いて客全員からも拍手が起こって祝福し、会場の一体感ができていきます。
 客の紹介が終わると、次は誕生日です。
家族やグループの友人が、その日誕生日の家族・友人の名前をメモに書いて司会者に届けます。
 それを見て司会者がメモに書かれた名前を読み上げ、本人を次々にステージに呼び、誕生日の客が出揃ったところで、客全員で拍手をして誕生日を祝います。
  そんな雰囲気の中、深夜まで続くショーと食事を楽しみながら訪れた観光客は満たされた気分で店をあとにします。
 ここでも、日本からのツアーでは翌日の日程を睨むと深夜1時、2時までのショーを楽しむことは無理でしょう。
 もともとペルーは、というよりラテン社会は“夜型社会”ですから、何事も始まるのが遅くて、9時ごろから始まり、盛りあがるのは10時、11時あるいはそれ以後というのが当たり前です。
 9時にはホテルに戻って、翌日の出発に備える〜という日本のツアーでは、ラテンの夜を楽しむこと自体、最初からできない相談かもしれません。
 その意味では“Sachun” でさえ、日本人にはじっくり楽しむのがむずかしいわけですが、私のオススメは、同じペーニャでも“Brisas del Titicaca”のほうです。
 「チチカカのそよ風」というなんともロマンテイックな店の名前だけではなく、そのショーや雰囲気が私には“Sachun”よりずっと気に入っているからです。
 一言でいえば、“Sachun”が高級ですましているのに対し “Brisas del Titicaca”のほうは大衆的で開放的です。
 客席数が1・2階あわせて400席ほどで、“Sachun”の2倍ぐらいあります。
ステージは3倍ほども広く、大勢の客が上がれます。
 テーブルは6〜7人用の一定の大きさなので、1テーブルに複数のグループが同席します。
 “Sachun”と同様、ショーに先立って外国からの客を紹介しますが、テーブルに国旗を立てるなどという細かい芸当をしない代わりに、客席に問いかけ、外国客をステージに呼んで国ごとに紹介していきます。
 “Sachun”では外国人のほうが多いのに対してこちらは圧倒的にペルー人中心です。
その日、私たち日本人3人ででかけ、ペルー人のファミリア2家族と同じテーブルになっていましたが、ペルー人たちは外国人紹介のとき、私たちに「ステージへ行け」とさかんに勧めます。
 まだ、Licores (アルコール)もあまり入っていないし、“控え目な”私たちはステージに上がりませんでした。
 いまから考えると「なんで上がらなかったのか」と惜しい気分です。
誕生日の客の紹介も、“Sachun”と同じようにしますが、違うところは、ステージに上がった客を全員踊らせることです。
 生バンドの浮き立つような演奏で客も自然に踊り出し、思い思いのステップや、時にはみんな手をつないだりして、見ているほうの気分もいっぺんに陽気になってきます。
 フォルクローレのショーも華やかに続き、ひとつのショーの終わりに、出演の若い男女が民族衣装で客席を回り、客を数珠繋ぎにして店内を1周するなどもあって、とにかく客を一緒に楽しませよう〜という趣向に徹しています。
 このころになると、いくら控え目な客もすっかり気分が乗って、同じテーブルではペルー人も日本人もなく、下手なカステジャーノも苦にせず話もはずんでいます。
 一連のショータイムが終わると、バンドの演奏がひときわ大きくなり、客に踊りを促します。
 Baile! 踊りの時間です。
すっかり開放的になっている客は、待ってましたとばかりステージをめざして歩き始め、たちまちステージはいっぱいになります。
 私たちも、もう控え目でいるわけにはいきません。
ありがたいことに、ここの踊りはスタイルにまったくこだわりません。
 日本のデイスコよりもさらに自由で、同じ曲でデイスコ風に踊る人もいれば、マンボもあれば、中にはソシアル風もいます。
 同じテーブルのペルー人から盛んに誘われ、曲が終わって席に戻ると、いすにかけるかかけないかの内に次の曲が始まり、もう次を誘われます。
 中南米では、ペルー人は一般的におとなしいとされていますが、この場面では、ペルー人がまぎれもなくラテイーノだったことがわかります。
 それでも、中には例外のペルー人もいて、そのテーブルにも決してステージに行かない人がいたのですが、いつのまにかこちらが一生懸命でその人を誘ってむりやり踊りに引きこんでしまっていました。
 “Sachun”でもステージの前のわずかなスペースで踊る人もいるにはいますが、ほんのわずかでよほど勇気がなければ踊れません。
 そこへいくと“Brisas del Titicaca”は広いステージいっぱいに人が乗り、ときにはその全員が手をつないでひとつの輪を作り、バンドに乗せられて一斉にその輪を縮めます。
 すごい勢いで全員が真ん中に向かって進むので、中央ではぶつかったり、もみくちゃになったり〜。
 次の瞬間、その輪を広げようとステージの渕へ向かって思いきり後ずさりしていきます。
あやうく足を取られて仰向けにひっくりかえるのではないかと思うほど。
 輪が広がりきっても、勢いが残っていて、つないだ手がちぎれそうになるのを必死で互いに掴みあう…。
 “Sachun”にはない圧倒的な一体感です。
ステージを降りるときは、見知らぬ同士が互いに笑顔を交わしてちょっとした昂奮状態になっています。
 8月のその日、こちらでは冬まっさかりで、セーターを着ていたのですが、踊り終わって3時近くに家に帰ったときは、汗だくでした。
 こんなに無心に、無邪気になれたのはいつ以来だったろう〜と昂奮の余韻をシャワーで静めていました。

 「ただ、セントロの一般の店は治安上、注意が必要。ここでは安全で質の高い店を紹介しよう。」とのことわりがあり、「地球の歩き方」では“Schun”のみを紹介しています。
 “Schun”はミラフローレスにあり、安全な地区とされています。
その点、“Brisas del Titicaca”はたしかに要注意地区とされるセントロには近いですが、普通の注意をしていれば問題はなく、当日も馴れない日本人同士でしたが、深夜の帰宅になんの危険もありませんでした。
 リマのペーニャを本当に楽しむための選択として、ぜひ「地球の歩き方」でも“Brisas del Titicaca”を紹介しておいてほしいものです。
                          




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